勝利の歌を忘れない

中田英寿、小野伸二、中山雅史など、サムライブルーを背負ったサッカー日本代表の英雄たちを胸に刻むブログ

中山雅史の情熱プレー集、名言、同世代選手...and more

中山雅史

ゴン中山こと中山雅史は、記憶にも記録にもその存在を残してきた日本サッカー界魂の男です。

ゴンゴールによって、何度絶叫させられたか。そして、ベテランになっても変わらずがむしゃらなプレー、ピッチに立っている限り、試合終了の瞬間まで全力で走り続ける情熱。個人的にも大好きな選手の一人です。

日本サッカー界を熱くし続けた中山雅史を、いつまでも忘れずに記憶に残し続ける。そんな手助けをこの記事でできればと思います。

中山雅史プロフィール

中山雅史 ジュビロ磐田

生年月日 1967年9月23日
出身地 静岡県
歴代所属チーム ヤマハ発動機
ジュビロ磐田
コンサドーレ札幌
アスルクラロ沼津
日本代表歴(主な試合) 1992 アジアカップ(日本・広島)
1998 FIFAワールドカップ (フランス)
2001 コンフェデレーションズカップ (韓国/日本)
2002 FIFAワールドカップ (韓国/日本)
受賞歴 1997 チャンピオンシップMVP
1997 Jリーグアウォーズ ベストイレブン
1998 4月 AFC月間最優秀選手賞(Player of the Month)
1998 J1 1stステージ優秀選手
1998 Jリーグアウォーズ 最優秀選手賞・得点王・ベストイレブン
1999 チャンピオンシップMVP
1999 AFC年間ベストイレブン(AFC All Stars)
2000 Jリーグアウォーズ 得点王・ベストイレブン
2002 Jリーグアウォーズ ベストイレブン

まずは魂のプレー集から!

何より、顔が良い!

ゴールをしたあとの顔、がむしゃらに走る顔、試合後のサポーターへ挨拶する顔。

そして、泥臭さいプレーは中山雅史の代名詞!

プレーにここまで生き様があふれる選手ってなかなかいないですよね。

中山雅史と同じ世代の選手

中山雅史

 中山雅史と同じ世代(1967年生まれ)にはこんな選手がいました。

三浦知良(元日本代表)、北澤豪(元日本代表)、山口素弘(1998年W杯メンバー)、呂比須ワグナー(1998年W杯メンバー)、井原正巳(1998年W杯メンバー)、高木琢也(元日本代表)、武田修宏(元日本代表)、菊池新吉(元日本代表)、浅野哲也(元日本代表)、森保一(元日本代表)ロベルト・バッジョ(イタリア)、アルシンド(ブラジル)。

98年W杯メンバーを筆頭に、Jリーグ開幕を盛り上げた選手が多いですね。

じつは、ロベルト・バッジョとも同世代なんですねゴン中山。

中山雅史が感動をくれた試合

中山雅史

中山雅史のプレー=魂のプレー集となりますが、ここまでプレーから熱を発するプレーヤーは数少ないです。

中山雅史が出場する代表の試合では、ゴンゴールを求める声援がこだまします。今でもサポーターの記憶に残り続けています。

その中でも、何度でも見たいベスト3ゴンゴールを選ばせていただきました。

1位 W杯日本人初ゴール!ジャマイカ戦弾は、未来へつながるゴンゴール!

誰もが1位に選んでしまうほど、有名かつ日本の魂を揺さぶってくれた日本が初めて出場した98年W杯の日本人初ゴール。このゴールにこそ、ゴン中山のプレーヤーとしての魂、生き様が詰まっています。

すでに2敗をしていた日本代表は、このジャマイカ戦をW杯の敗退が決まっている中、

数少ないドーハの悲劇のメンバーでもあり、W杯の切符を逃したイラク戦でのロスタイム同点弾の悔しさを表す象徴して、中山雅史がイスから崩れ落ちる映像が何度も流され続けてきたのは日本サッカーファンなら誰も知っています。

そんな中で、日本人初ゴールを決めたのが中山雅史というのは、必然というかなるべくしてなったというか。何度観ても鳥肌が立つゴールです。

2位 まさに不屈のゴール!94年W杯最終予選で見せた角度ゼロからの魂のゴール

アメリカW杯を目指す日本代表の中で、1993年に行われたアジア最終予選のイラン戦で0−2でビハインドの中で生まれた、まさにTHEゴンゴールがこれ。

タッチラインを割りそうなスルーパスをスライディングで残し、そのまま角度ゼロからのシュートがゴールネットを揺らしたまさに漫画みたいな魂のゴンゴール。

その後、ゴール後に喜ぶよりも、1秒でも早く試合を再会するために全力でボールを戻しにいく姿勢は、確実に日本チームの戦う姿勢を呼び覚ましました。

3位 ギネス記録!4試合連続ハットトリック!

記憶だけの男ではない中山雅史、4試合連続ハットトリックという、超人的なギネス記録を持っていることも有名ですね。

5点・4点・4点・3点、なんと4試合で16点の固め打ち。

このシーズンのJリーグで中山雅史は27試合出場で36得点で得点王。今だに破られていないJリーグシーズン最多得点記録です。

名波浩、藤田俊哉、ドゥンガ、などなど当時のジュビロのメンツもすごかった。

ゴンとカズの絆

中山雅史の引退表明を受けて、カズが見せた涙の会見

この会見にこそ、二人の絆の深さが現れていますよね。

共にサッカー日本代表を引っ張り、歴史をつくってきたカズからゴンへのメッセージ。このほんの数十秒でも、涙をもらってしまいそうな動画です。

ギネス認定!開始3分でハットトリック。日本代表の試合での偉業

中山雅史は2つのギネス記録持っています。一つは先ほども紹介した、4試合連続ハットトリック。

そしてもう一つは、世界最速のハットトリック。ハットトリックの神様がついてますゴンさん。

2000年アジア杯予選のブルネイ戦、キックオフからわずか3分15秒で生まれたこの記録は、中山を日本だけでなく世界の記憶と記録に残すハットトリック。

98年W杯後に三浦知良と中山雅史が2トップ組んだ数少ない貴重な試合でもあります。

中山雅史の名言

中山雅史

中田英寿がこれまで残してきた言葉は、自然な言葉でありながら、頭の片隅に残り続ける名言ばかりです。

そしてそれは、サッカー選手にとってだけでなく、一つでも自分を成長させようとする20代、自分の人生に迷い始めた30代、40代にも刺さる人生の名言です。

中田英寿の言葉で特に胸に刺さる言葉をセレクトさせていただきました。 

あるのは負けず嫌いとサッカーを愛する気持ちだけ。他になにもないから中山雅史だった。

ある程度やれた、ではしようがないんですよね。

今までプレーしてきて嬉しかったこと。それはW杯フランス大会予選のピッチに立てたこと、そして、本大会につながったこと。悔しかったこと、そこで自分が何も表現できなかったこと。

引退するときは悲しい。ゴールできなくなるから。

自分は、人と違うプレーをする。そうしないと自分の居場所はない。

当たり前のことを当たり前にやることが実は一番スーパーなプレー。

わかったことは骨折しても走れるって事と、骨、折ってまで走ってはいけないこと。良い子はマネしないように。

本番になったら本気でやるというのはあり得ない。プレイから言い訳をなくすためには練習を積み重ねるしかなった。

井原とシャワーを浴びながら、「ワールドカップっていいね、もう1回出たいね」と。

30歳で駄目だったら34歳でやってやるし、それでも駄目だったら38歳でやってやりますからね。絶対に諦めないですよ。

常に行って、挑戦していきたい場所ですね、代表は。

中山雅史の評価

中山雅史

2013年に雑誌Numberの特別号として発刊された「中山雅史と日本サッカーの20年。」の中に、中山雅史にゆかりのある人物からのメッセージが載っていました。 これはぜひ保存版として広めたいと思うので、引用させていただきます。

「ゴンちゃんのことを少しうらやましく思うこともある」
中田英寿

「日本にはゴンの個性が必要だった」
ハンス・オフト

「勝負の懸かった試合では外せなかった」
岡田武史

「ナカヤマサンは僕を救ってくれた」
呂比須ワグナー

「彼はピッチの上で死ねる選手だ」
フィリップ・トルシエ

「アイツの気迫にはオレも心底ビビった」
スキラッチ

「中山さん以上の相棒はいませんね」
高原直泰

「弱音を聞いたことは一度もありません」
前田遼一

中山雅史の日本代表の記憶。98年W杯クロアチア戦の“あのシュート”を語る

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あれはヒデが持ったときに、斜めに離れる動きをして、それでヒデからのボールも間接視野で受けるようにしていました。

あのとき、どこにボールを置いて、それによってどういうシュートを打てるか考えてました。トラップまではすべてイメージ通りだったと思います。

後に映像を観ると、ループを打てていた、右に転がせばキーパーは取れなかったかもとは思いました。ただあの場面は、トップスピードで走りながらボールを引き出して、止めて、蹴っている。そしてシュートの後に倒れているんですよね。身体が外に流れながらシュートを打っている。そう考えると右に転がす、ループうんぬんは自分の技術では無理でしたね。

だから当時の自分の技術では、もっと強く蹴るしか無かったと思います。

弾かれても入るようなシュートを打つしか無かった。

他の選手からすればもっと違う選択肢もあったかもしれない。でも当時の自分はそれぐらいですね。あの時点で自分でやれることは全てやったと思います。

 

引用:DETERMINATION!

中山雅史の勝利の歌を忘れない

中山雅史

この記事の中でも「魂」という言葉を何度使ったか。笑

それくらい、中山雅史は魂をゆさぶるプレーヤーだったことを、改めて思い知らされました。

テクニック的に上手い選手は増え、欧州でも当たり前に活躍する選手が生まれています。

なのになぜでしょうか、「魂」という言葉を使いたくなる選手がなかなか見当たらないのは。

上手いよりも、スマートよりも、「見たい選手」がまた日本に生まれてきて欲しいと願いながら、ゴン中山こと、中山隊長こと、中山雅史の思い出を胸に刻み続けたいです。