小野伸二の天才プレー集、名言、同世代選手...and more
「天才プレイヤー」という言葉をつけられて、違和感を感じない選手は、日本に何人いるのでしょうか?
小野伸二は、その数少ない選手の一人。
一つのトラップですら、スタジアムを沸かせることができるプレイヤーは、少なくとも日本では類を見ません。
日本サッカー界を魅了し続ける小野伸二を、いつまでも忘れずに記憶に残し続ける。そんな手助けをこの記事でできればと思います。
サッカー選手 小野伸二プロフィール
生年月日 | 1979年9月27日 |
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出身地 | 静岡県 |
歴代所属チーム | 浦和レッドダイヤモンズ フェイエノールト 浦和レッドダイヤモンズ VfLボーフム 清水エスパルス ウェスタン・シドニー・ワンダラーズ コンサドーレ札幌 |
日本代表歴(主な試合) | 1998 フランスW杯 1999 ワールドユースナイジェリア大会 準優勝 2000 レバノンアジアカップ 優勝 2002 日韓W杯 ベスト16 2004年アテネ五輪 出場 2006 ドイツW杯 出場 |
受賞歴 | 1998 アジアユース 最優秀選手賞 1998 Jリーグ 年間新人王 1999 ワールドユース ベストイレブン 1999 アジア年間最優秀ユース選手賞 2002 アジア年間最優秀選手 |
異国の地でも会場を魅了させる!天才小野伸二選手のプレー集(ウェスタン・シドニー・ワンダラーズ編)
ウェスタン・シドニー・ワンダラーズに加入したとき、小野伸二はすでに33歳。
2年ぶりの海外挑戦で、小野伸二は偉業を達成している。実は小野伸二加入当時のウェスタン・シドニー・ワンダラーズはAリーグ参入初年度。
にも関わらず、リーグ優勝ができたのは、間違いなく小野伸二の存在が大きかったのです。
小野伸二選手と同じ世代の選手
小野伸二が生まれた79年は“黄金世代”と呼ばれていました。
遠藤保仁(G大阪)、小笠原満男(鹿島)、曽ヶ端準(鹿島)、本山雅志(元鹿島)、中田浩二(元鹿島)、稲本潤一(コンサドーレ札幌)、高原直泰(沖縄SV監督兼選手)、播戸竜二(大宮アルディージャ)、永井雄一郎(ザスパクサツ群馬)、南雄太(横浜FC)。
99年のワールドユース ナイジェリア大会で準優勝に輝いたメンバーが多く、みなさんの記憶に残っているんじゃないでしょうか。
海外の選手としては、マイケル・オーウェン(イングランド)、パブロ・アイマール(アルゼンチン)、アンドレア・ピルロ(イタリア)、ディエゴ・フォルラン(ウルグアイ)。
スーパースターとして脚光を浴び、現在もまだまだ現役で活躍している名選手もいますね。
小野伸二選手が感動をくれた試合
小野伸二はその華麗なテクニックにより、記憶に残るゴールやアシストを日本サッカー界に数多く残してくれています。
その中でも、個人的ベスト3を選ばせていただきました。
1位 大怪我を乗り越えた天才児の、復活フリーキック弾!
シドニーオリンピック、アジア地区一次予選のフィリピン戦での大怪我があり、その後の代表でなかなかインパクトを残せていなかった中での復活のフリーキック弾。
2002年W杯杯の前哨大会であるコンフェデレーションズ杯初戦でのゴール。
この大会、日本は強豪ひしめく中で準優勝という好成績を残していますが、この初戦の伸二ゴールがその狼煙となりました。
2位 日本全国の魂を震わせた02年W杯鈴木ゴールの影に、伸二のベルベットパスあり!
もはや説明不要、W杯日本初の勝点をもたらした2002年W杯ベルギー戦での鈴木隆行ゴール。
鈴木のシュートも最高に素晴らしい。ただやはりこのパスを出せる小野伸二の凄さを噛みしめたい。
常にゴールに向いている意識が、自陣深い位置からのアシストを生み出しました。
お手本のような柔らかい放物線に、見とれてしまいます。
3位 ガチンコメンツのイングランド代表から奪った、華麗パスワークからの締めは伸二ゴール!
2006年ドイツW杯の直前に行われた、ガチンコメンバーのイングランド代表との試合。
大方の予想は、大差での日本敗戦。
先制点を許していた後半序盤、イングランド代表を翻弄するパスワークからの、最後は小野伸二の丁寧なインサイドキックでのゴールにベッカムも落胆でした。
日本が世界のトップチームに見せたポテンシャルの高さは、本大会でのサプライズを予感させてくれました。
YouTube上で「日本史上最も美しいゴール」として、話題となりました。
99年ワールドユースでの偉業
99年ワールドユース大会での日本の躍進は、世界中から賞賛されました。
79年生まれの黄金世代と呼ばれた若き日本イレブンは、決勝でスペイン代表に敗れるまで、圧倒的な強さで強豪国を破り続けました。
この大会で小野伸二は、キャプテンとしてチームを牽引。稲本、高原、本山、中田浩二といった後のA代表メンバーを率いて、日本の準優勝という好成績の原動力になりました。
小野伸二の評価
ヴェスレイ・スナイデル
これまで対戦した中でも、最もタフな相手の一人。彼が日本人だからとか、あなたを喜ばせようとしてそう言っているんじゃないんだ。
ウェスタン・シドニーのトニー・ポポビッチ監督
彼は特別な選手。我々のチームに彼がいてくれることに興奮している。
ロビン・ファン・ペルシー
小野は天才。オランダ代表の練習で小野より上手い選手はいなかった。
ラモス瑠偉
日本で天才がいるとしたら、僕は一人だけだと思う、小野伸二。 もし怪我してなかったら、化け物みたいな選手になっていたよ。
ディルク・カイト
セードルフを見た時より、小野に会った時の方が衝撃を受けた。
デル・ピエロ
彼との対戦はエキサイティング。
元デンマーク代表トマソン
彼のお陰で、サッカーばかりでなく、人生に対する考え方が変わった。
フェイエノールト ファン・マルワイク監督
今の日本代表に第2の小野伸二はいない。
シンジは今まで一緒に働いた中で、一番良いプレーヤーだった。日本に戻って、また活躍してくれていると聞いてうれしいよ。
元オランダ代表フォンホーイドンク
クラブで一緒にプレーした中でも最高の選手の内の1人が凄いゴールを決めたよ。
天才小野伸二が認める「天才」サッカー選手とは?
小野伸二が、自身のサッカーのルーツとして「マラドーナ」を挙げているのをご存知でしょうか?
SOCCER KINGのインタビュー記事から引用で、ご紹介させていただきます。
Q.キャリアを積み重ねていく中で、小野選手の中ではずっとマラドーナがトップの存在ですか?
(小野伸二)そうですね。そこはずっと変わらないです。ちょっと表現が難しいですけど、例えば今の時代にマラドーナがいても、絶対に順応すると思います。当時は現代サッカーほどのハイプレスはなかったと思うので、一概には言えないですけど、でもマラドーナが現代にいたとしても、スーパースターであること間違いないと思うし、世界一の選手だと僕は思っています。
Q.成長段階でマラドーナという選手と出会って、参考にしたことはありますか?
(小野伸二)参考にしたというわけではないですが、「この人みたいになるためには、毎日もっとトレーニングしなきゃいけない」と思うようになりましたし、それまで以上にサッカーが好きになりました。
Q.小野さんにとってマラドーナを一言で表すと?
(小野伸二)やはり「サッカーとは?」の答えと同じで、僕の“すべて”ですね。サッカーがなければ今の僕はいないし、マラドーナという存在がいなければ、サッカーを楽しもうとか、世界一の選手になろうという気持ちにはなれなかった。結果として達成はできなかったかもしれないけど、そういう存在がいてくれたおかげで、楽しいサッカーをしながら、見てくれる人を魅了するという部分ではそれなりにやってきたと思うので。マラドーナは僕の“すべて”です。
小野伸二選手のプレーテクニック
小野伸二選手の名言
小野伸二が言葉として残したものは、以外に少ない。それは、語るよりもピッチで表現することに命をかけていきたから小野伸二らしいとも言えますね。
その数少ない小野伸二の名言をセレクトさせていただきました。
自分は毎回メッセージ付きのパスを出している。
サッカーの悩みは、サッカーでしか解消できない。
試合の途中に、突然、自分の中から「気にするな」って声が聞こえてきて、すべてが変わったんです。
サッカーを楽しむことが一番大事。
(自分自身を「寿司のネタに例えると」の質問に)
醤油かな? 自分の味付けで周りを変えられるから。
小野伸二の人生の分岐点、シドニーオリンピック・アジア地区1次予選フィリピン戦での大怪我
小野伸二のファンであれば、誰もが知るこの一戦での大怪我。フィリピン選手に悪質なタックルを受け、左膝靭帯断裂の大怪我を負いました。
本人も、雑誌Numberの取材でこう語っている。
『自分が納得してサッカーやってたな』と思うのが、やっぱりあのときぐらいだったんで、全然違いますね」
サッカーファンの中でもよく「あの怪我がなければ小野伸二はもっとすごかった」「バルセロナでも通用したのではないか」といった談義が交わさせていますね。
“タラレバ”を話しても仕方ないですが、過去を掘り出して話のネタにされるくらい小野伸二の才能を信じきっているということ。
今はまた新たに『うまくなりたい、またもっとうまくなっていきたい』
と本人が言うように、ここからさらに進化してほしいですね。
小野伸二のジーコ監督の日本代表で期待をさせた黄金のカルテット
日本代表としても数多くの実績がある小野伸二。
その中でも、「黄金のカルテット」と呼ばれた、小野伸二、中田英寿、中村俊輔、稲本潤一で構成された中盤は、日本中の期待を爆発させましたよね。
2002年10月、ジーコジャパン初陣でこの4人が同時出場したんです。ブラジル代表でジーコ自身が構成していた黄金のカルテットの言葉を借り、日本版黄金のカルテットと呼ばれたこの中盤、
結果的にはそのメンバーが同時出場した試合は少なかったのですが、夢があったメンバーでした。
小野伸二の勝利の歌を忘れない
歳を重ね、引退という言葉も見え始めてきた小野伸二。
なのに、「何かやらかしてくれるんじゃないか」という期待をいつまでも抱かせ続けてくれます。
小野伸二という名前を聞いただけでワクワクさせてくれる、そんな選手であるからこそ、J1だろうが海外だろうがJ2だろうが、常に追い続けたくなる。
代表でまたベルベットパスを見たいという想いにもさせてくれます。
いつまでも天才と呼ばれ続ける、小野伸二の思い出を胸に刻み続けたいです。