勝利の歌を忘れない

中田英寿、小野伸二、中山雅史など、サムライブルーを背負ったサッカー日本代表の英雄たちを胸に刻むブログ

中田英寿の評価(監督、選手、関係者からのコメント集)

中田英寿の評価

日本国民、メディアだけでなく、各国の監督、選手からも注目を浴びさまざまな評価を得てきた中田英寿ですが、この記事では、中田英寿がどんな評価を受けていたかを、有名選手や監督などのコメントから紐解いていきたいと思います。

歴代所属チーム ベルマーレ平塚(現:湘南ベルマーレ):日本
A.C.ペルージャ:イタリア
A.S.ローマ:イタリア
パルマA.C.:イタリア
ボローニャF.C.:イタリア
ACFフィオレンティーナ:イタリア
ボルトン・ワンダラーズF.C.:イギリス
日本代表歴(主な試合) 1992年 U-16アジアユース
1993年 U-17アジアユース(ベスト8)
1994年 U-19アジアユース
1995年 ワールドユース(ベスト8)
1996年 アトランタ五輪
1998年 フランスW杯
2000年 シドニー五輪
2001年 コンフェデレーションズカップ(準優勝)
2002年 日韓W杯決勝(ベスト16)
2003年 コンフェデレーションズカップ
2005年 コンフェデレーションズカップ
2006年 ドイツW杯
受賞歴 1997年 リーグベスト11
1997年 AFC 年間最優秀選手賞
1997年 日本プロスポーツ大賞(内閣総理大臣杯授与)大賞
1998年 AFC 年間最優秀選手賞
1998年 日本プロスポーツ大賞(内閣総理大臣杯授与)殊勲賞
00-01 セリエA 優勝(スクデッド)
01-02 イタリア杯 優勝
2006年 イタリア連帯の星勲章受賞
2006年 カヴァリエーレ勲位

中田英寿の評価とは?

中田英寿の評価

ペルージャ時代のカルロ・マッツォーネ監督

ペルージャ時代、ローマのフロントが私にヒデのことをよく聞きに来たんだ。
精一杯、ヒデのことを褒めちぎってやったよ。
「彼の実力については、すべて私が責任を持つ」とまで言った記憶がある。
彼が偉大なカルチャトーレであることに疑いの余地はないんだ。

とにかく、ヒデにボールを預けておけば何とかしてくれるという感じだ。
子供たちのサッカーを見るとわかりやすいのだが、
子供たちはチームで一番上手いと思われている選手にボールを集めるだろう?
今のヒデがまさにそれだ。ヒデにボールが集まる。全員がヒデを一番上手い選手だと認めている証さ。
私も子供の頃はよくみんなからボールを預けられたものだよ。

ASローマのフィジカルコーチ、マッシモ・ネーリ 

アスリートとしてのヒデを語るときに、まず最初に指摘しておかなければいけないのは、素材としての肉体の良さです。ヒデは、一般的な日本人のように華奢ではないし、痩せてもいない。筋肉も、速筋の比率が比較的高いいい構成です。ああいう肉体を持った日本人は、滅多にいないんじゃないですか。

ローマ時代のチームメイト、フランチェスコ・トッティ

(01年スクデットをたぐり寄せたユベントス戦での中田の活躍について)
印象的だった。後半途中、俺との交代でピッチに上がって、すぐに大きな仕事をやってのけたんだからね。本当にすごかった。


素晴らしいプレーヤーであると同時に素晴らしい人間だった。人にやさしく接する術を知っていたんだ。教育の高さを感じさせるし、礼儀正しい男だったよ。

ジネディーヌ・ジダン

(01年優勝争いの試合で、終盤に同点に追いつかれた試合後のインタビューにて)
ずるいよ。あの場面で、トッティに替って中田が出てくるなんて・・・

エドガー・ダービッツ

(セリエAデビュー戦で、ユベントス相手に2ゴールを決めた中田に対して)

偶然でユベントスから2ゴールも取る事は出来ない。中田は本物だ。

デル・ピエロ

(2006年ドイツW杯後に引退発表した件について)

残念なことだ。まだ若いので、後悔するのではとも思う。考え直すように、電話で説得するよ。 

日本サッカー協会最高顧問の長沼健

(2006年ドイツW杯後に引退発表した件について)
「本当に大きな損失だ。厳しく自分を鍛え、海外でも負けない体をつくった。4年後も十二分にやれると思うけれど…。中田英を超える選手を育てることが、日本サッカー界に突きつけられたテーマだ。 

最後に、そんな中田英寿のプレー集でお別れです